こころのおと

日々の気づいたことを綴るブログ。

理解の呼び水

知識は理解の呼び水。

 

理解を得るために知識をやみくもに取り入れても、理解を生むどころか蓋をしてしまうことも多い。

 

人の心がよくわかる人達は、その人の理解を引き出すものを、言語や知識という形にして差し出してくれる。

 

その理解という水が、どうやったらその人から出てくるかわかっているから。

人生の頂で輝いてる人

人生の頂で輝いてる人、谷底でもがいたことのある人、どちらも素晴らしい経験だけど、どちらも知っている人は、意外と普通に過ごしていたりする。


そういう人は頂も目指してないし、谷から逃れようともしてないけど、必要なことを、ただやってる。人生の頂からも谷からも自由な生き方。

 

そうやって生きてる人は美しい。

思考体系

僕らは思考系体が考えたことに対して、思考系体が反応をして、思考系体が対応策を持ってくるっていうのを繰り返してる。

 

まるでそれはメビウスの輪

 

どこまで動きを進めても、その輪からでることはできない。

 

その考えの輪から出てはじめて、その輪の外のことがわかるようになる気がする。

優越感

人よりも優れていたいとか、優れていなければとか、そういう気持ちがベースにありながら努力してもっと良くなろう、人よりも優れていようとするのは苦しい。

 

優越感は他人と比較して自分が感じる一瞬の快楽だけど、本当の優越は自分の優れるとか劣ってるとか、優劣っていう概念を越えていくことなのかもな。

悪いところがなかったら素晴らしい?

最近よく思うことは、悪いものをなくしていけば、良くなるのかっていうこと。

 

 

この前、本業の指導で学生さん向けに講習をしたときに、とある生徒さんに

 

 

『先生、私どこか問題ありませんでしたか?』

 

と聞かれて、びっくりした覚えがある。

 

 

特に最近の若い子はそう感じることは多いけど、自分にもそういう傾向はあるなぁと思いながら、いろいろと考察していました。

 

 

たしかに悪いものをなくしていけば、勉強でも人生でも、ある種クオリティみたいなものは上がると思うんだけど、あるところで頭打ちになってしまうと思うんだよね。

 

 

特に悪い部分って目立つし分かりやすいから、それを改善していくのはやり易いし、取っつきやすいから、問題を解決してよくなっていくっていうのは、ある意味では簡単なことのなのかもしれない。

 

 

でもそれが悪いと思うわけではなくて、そういう観点しかないと、問題が一つ解決してもまた新たな問題を見つけてしまって、その作業が延々と終わらないように感じる。

 

 

自分が問題をすぐに見つけるセンサーみたいになってしまうんじゃないかなぁと。

 

 

ずっとそうやっていくことって、仮に結果や人生がどんどん良くなってたとしても、幸せなことなのかなぁと思ったのでこんなこと書いてみました。

 

 

ではまた!

 

 

気楽にね

なにか困ったことがあったときに、あんまり難しく考えすぎるのはよくないね。

 

考えすぎると、自分で自分の作った考えの檻に入っていく…でもその檻から出るのに必要なのは考えることじゃない。

 

まずはその檻の外にでること。

 

たまにはリラックスして気楽にやることも大切なんじゃないかな。