こころのおと

日々の気づいたことを綴るブログ。

くりしゅなむるてぃ。〜思考=時間についての考察〜

みなさまご無沙汰しております。
 
最近Twitterにどっぷりはまっておりまして、ブログのほうがおざなりになってしまいました。短文でさくっとつぶやけるので、ブログで長文を書く気力がまったく起きなくて・・・笑
 
そっちのほうでは呟いたのですが、最近クリシュナムルティの本にふれる機会があって、衝撃を受けました。いま自分のなかでクリシュナムルティ熱が燃え上がっております。しかしながら、くりしゅなむるてぃとひらがなにすると急にゆるくなるもんだから、言葉って面白いです。まるでくりぃむしちゅーみたい。笑
 
 
 
…で、最近読んだ本は『恐怖なしに生きる』という本。
 
だいたい2〜3つ主に説かれていることがあったけど、その1つは思考=時間ということ。
 
いきなりこれだけ提示されると、はぁ?笑…ってなるけど、自分なりに簡単に説明してみようと思います。
 
 
まず、思考と時間がどう結びついているかというと、僕らは物事を判断するときに過去のよかったことをや、苦しかったこと…すなわち記憶を頼りにして、物事を判断しています。
 
 
記憶、これは、間違いなく時間という属性がなければ存在することができません。
 
 
ですから、今現在おこっている出来事にたいして感じている、これをやったらうまくいくだろう、これはヤバいからやめておこうという判断は、それ自体が過去という記憶を軸にしています。記憶なしに物事のいい悪いを判断することは出来ません。
 
ですからこれは理解していただけると思います。では未来のことについてはどうなのか。
 
未来についてはとりあえずは経験することができないので、思考という手段をつかって想像して、自分の望む状況に到達しようとしたり、目標を達成しようとしたり、好ましくない現象を避けようとします。
 
ちなみに、それ自体も考えの中にしか存在しないので、まだ起こっていない出来事に対する恐怖や不安は出来事そのものではなく、その思考を恐れているということができます。それが理解できれば、恐怖や不安は、出来事に依るものではなく自分自身に依るものだということが簡単にわかるはずです。
 
話をもどして、では何故未来のことを考える思考=時間なのかというと、例えば、あと何日たったら風邪は良くなるとか、一年後はもっとこうなっているだろう…その考えの中に、今の自分からその自分になるための、心理的な時間というのが、思考に含まれているのをご理解いただけるでしょうか。自分は一瞬でその状態になれないという経験と記憶をもとに、心理的な時間と距離を生み出すのです。
 
AからBに到達するには物質的にも心理的にも距離があり、そこには時間の概念が必ずあります。
 
それらをふまえて、新しい経験や理解、純粋に体験しているときには、その思考=時間をいう概念が適応されていないのがおわかりになるでしょうか。無我夢中の状態です。それは『いま』です。なうです。
 
 
いま気づいたけど、四文字熟語ってよく出来てるな。ですから思考によるものは、純粋な経験と知覚をもたらすことはないと思います。
 
 
ですから思考を使って、いまを感じることはできないのです。それは磁石の同じ極がぴったりくっつくことはないように、かならず一瞬過去か未来のどちらかにベクトルが向かいます。いまを『感じよう』としていることは、いまという概念を追っていると言えます。
 
いまとは、ただそうあるものだと思います。
 
ということで、ばーっと書きましたが、これは僕の理解であって、オリジナルの理解と違うかもしれませんし、教義を広めるような意図のものではありません。
 
でも、自分の言葉でアウトプットできたのはいい経験になりました。
 
読んでいただいた方、ありがとうございましたm(_ _)m
 
ということで、また!