どんな体験も。
いまの自分は、目の前の体験を、ああでもないこうでもないと、価値判断をしたくなるけど、人生ゲームのプレイヤーのような観点で言えば、どんなことが起こっても、それは感情を伴う一つの経験にすぎない。
だからこそ体験というものはとても大切だと思う。
なぜなら、その目の前の体験から、そのときの感情を感じられるのは、そのときのあなただけだから。
そうやってみると、出来事に振り回される自分から、その関係性を観れるニュートラルな観点に移ることがだんだんできるようになる気がしている。
そして、自分がその出来事に意味付けをしている、モノサシを点検してみる。
何故どちらかの状況を望むのだろう。
それは出来事を体験することによる感情を求めているんだ。何かの感情を。
こうしたら満足が手にはいるとか、こうしたら安心できるとか、これを手にいれたら幸せになれるとか。
満足とか、幸せだけじゃなくて、辛いことを逃避するのもそう。
結局は苦しくなりたくない→楽でいたいという満足を求める動き。
でも、それを悪いことではなく、この観点でものごとをみると、行動がとても合理的になる。その求めてる状況の先に、自分がなにを欲しがっているのかわかるから。
そして、その行動によって、それを得られると考えているのは誰だろうか。
本当にその行動をすることで、その求めてるものが手に入るんだろうか。
その考えは現実的に考えて真実なんだろうか??
このへんは、またの機会にブログに書こうと思います。
昨日そんなことを考える機会があったので、今日はこんな記事にしてみました。
ではまた!
ルーレット回してる人は気楽でいいよね、こちとら毎日ひーこらいってますわ。笑