快感と喜びのちがい
なんだか今日は長文が書きたくなったので、久しぶりにブログのほうに文章を載せてみます。
最近思うことは、快感とよろこびの違いについて。
二つとも大体同じような意味で使われるかもしれませんが、僕は全く違うものだと思っています。全く違う現象とでもいうのかな。
なにが違うかというと、快感や安心にはその状態になるための条件がついていると思うんです。
Aということをした(またはAを得た)
↓
快感っていう状態が生まれる。
これは、安心とかもそうです。
欠乏を感じるがために、それを求めたりね。
でも、喜びっていうのは、条件を必要としないんですよね。それは直に自分自身からあらわれてくるもので、その『喜び』という文字をあてている、その感じられる感じ自体が、根本的に違うし、それが現れてきている出所も違うように感じています。
外からなにかを引っ張ってきて快感を得ようとする自分も、快感を感じて満足してる自分もそれはとても表面的な自分。
喜びは自分からあらわれてくる。それ自体で完結してる。
ただ、これがその『喜び』というものを得るために、なにかしようとすれば、それはまた『快感』を求める行為、いうなればAという条件を得て、Bになろうとすることなので、純粋なその喜びというのは感じられなくなるんじゃないかなぁと思います。
なにか足りないから、そういう状態になるわけで。
でも本来は喜びのほうが自然な状態なんだと思います。
最初からあったし、いまもそこにあるから。
ではまたー!