跳び箱自覚
こんにちは!
ゴールデンウィークを目前に、だいぶ過ごしやすい気候になってきましたね。
ちょっと前までは寒かったので、コートを着ていたかと思ったら、いきなりシャツ一枚で大丈夫になったので、着れなかったジャケット達がクローゼットで不満そうにしています。笑
この時期に着れないと次の出番は、秋ですからね…。
ちなみにこういうジャケットではないのであしからず!笑
さて、今日のお題は乗り越えるとか、そういうことについて。
僕たちは普段、ある状態を目標にしたり、理想とし、そこまでのプロセスを達成することによって、その状態になろうとしますよね。
その時々の課題や問題を乗り越え、解決することで、その状態になろうとする。
でも、よくそれをみていたら、それを問題だと考えているのは、だれであるのか。
指導者からこれを指摘された、友人からなにかいわれたから…
いろいろあるかもしれません。
でもそれを課題と認識するのも、問題と認識するのも、最終的にはあなた以外には、することができないのではないでしょうか。
ああ、これが問題なんだなぁ、これがいけないんだなあと、『あなた』が思ったときにしかあなたの中でそのことは真実になり得ません。
例えば、ちょうど理想といまの自分のあいだに、飛ぶのがちょっと難しいくらいの跳び箱があるとします。
さっきのものの見方で考えたら、それを置けるのは、自分以外いないはずです。
あなたが問題だと思ったときにのみ、その問題という名の跳び箱は出現するじゃないですか。
そして周りの人は、あなたなら大丈夫と勇気づけてくれるでしょう、こうすれば飛べるとやり方を教えてくれるでしょう。
そして飛べるようになったとき、できたという認識が生まれたとき、課題をクリアーして、嬉しくなるだろうし、楽しいだろうし、安心しますよね、最高にビールがうまいひとときを味わえます。
それも素敵なことですが、それはずっと繰り返されるサイクルだと思うのです。
飛べない跳び箱を置いたのは自身であり、その1つ1つ積み重なった段もまた、自分が作り出した考えだと知ること。そして、それを超えないと、そうなれないというのもまた、わたしの考えであるということ。
そんな気づきがありましたとさ。
ではまた!!
セイラさんに言われたら、それでもいいかな笑