人生という台風
『未知』
- 作者: スティーブンデスーザ,ダイアナレナー,上原裕美子
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2015/11/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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批判ではなく、共に成長する。
今朝方こんなツイートをした。
大人になって社会の中で生活していると、自分も含めてそれぞれ欠点みたいなものを感じるときがある。少し前までは、あの人のここが嫌だとか、ここを直したらいいのにとか思ってたけど、最近そんな風に思わなくなってきた。それは欠けてる部分ではなく、これから成長すればいいだけの部分だと思うから。
— こころのおと (@minnasitteru) 2016年4月15日
昨日まで仕事のプロジェクトで一緒だった人に、前々から個人的に思うことがあって、結構不満を溜めていたんだけど、とあるきっかけから僕の怒りが頂点に達して、昨日腹を割って話すことが出来た。
自分の不満を相手にぶちまけることは簡単だし、相手の悪いところはたしかに悪いところだから、責めようとすればいくらでも責められるけど、それだけでは自分の怒りの捌け口として相手がいるだけになってしまう。
僕は相手の悪いところを批判して言うこと言ったからハイ終わり!あとはそこ直してねっていうよりも、その批判というかたちの中でもきちんとコミニケーションができれば、成長という観点の中で、自分の思っていることを伝えるということが出来るようになってくるように思う。
仕事だと人それぞれスタイルがあるから特にそうだと思うけど、自分なりの考えがあってそれをどうしても『正しい』としたくなるものなんだと思う。それは自分も持ってる。
そうやってひとそれぞれの正しいという形を崩したくないのもわかるし、相手の意見を取り入れてますといっても、その意見を自分の都合のいい解釈のなかでおこなわれてることも良くあるし、その人の『正しさ』を強く握っていれば握ってるほど、相手の『正しい』によって自分のそれが崩れることは、きっとすごく嫌なことなんだろうな。
そして、それが崩れたときに、傷ついてしまう。
でも、やっぱりそういう大きな節目とか、自分の根幹に関わる出来事が起きないと、人は方向転換できないんだと思う。
ちょっとヘコんだとか、悲しかったとか、失敗したくらいじゃ、同じ方向を向いたまま、人は先に進もうとする。でもそういった時に必要なのは、たぶん必要なのは同じ方向に歩みを進めることよりも、いままでと違う方向に一歩足を踏み出すことだ。
そして、その怒っているのは、自分自身にもそれをよしとしない考えがあるからだ。
怒っている自分自身を見つめたときに、自分がなぜ怒っているのか自覚することができれば、自分もまた成長できる。
なーんて長ったらしく書いたけど、酒飲んでワイワイやったらまた仲良くやれそうで良かったって話です笑
ではまた!!
こみ上げる衝動
片方だけを求めることは、片方を拒絶すること
片方だけを求めることは片方を拒絶することだ。この事実を自覚して、片方を良いとする自分と片方を良しとしない自分をみることによって、片方だけに偏っていたバランスが段々とれてくる。でもそのバランスが崩れることがあってもいい。時が経てば片方の天秤に極端に重りを載せることはしなくなるから。
— こころのおと (@minnasitteru) 2016年4月12日
結果による満足と、行為による満足
わかってからやるのではなく、やってみてわかることがある。
僕は昔からの癖で、しっかりと準備をしてから、ものごとを完璧にこなしたいタイプだったのだが、どうやら最近変わりつつあるようだ。
そんな傾向ではありつつも、学生の頃はがむしゃらにいろんなことにチャレンジしていたのだが、社会のなかで自分の肩書きやポジションのようなものが与えられてから、なんとなくそれにふさわしい結果じゃないと残しちゃいけないような気がしてきて、より一層その傾向が強くなっていったように思う。
そして、そうやっていれば結果はでるわけで、そうすると必然的に仕事の内容もレベルアップしてくる。
そしてあるときからやりもせずに、準備しきれないとか、きっとこれは失敗してしまう…という思いが勝るようになり、いつしか理由をつけて逃げるようになってしまった。
その当時は逃げてるって意識はなかったが、やらない理由なんて人間いくらでもおもいつくわけで、これをやるっていう理由すらない理由みたいなものが実は一番大切で、強いモチベーションとエネルギーをもたらしてくれるように思う。
そんなやるっていうモチベーションがいつしかやらない理由の山の下敷きになってしまってから、僕は行動することをやめ、行動するための必要な準備をするようになった。
この仕事をこなすためには、これが必要だ、あれが必要だ…といった具合に。
でも、それが必要だとしても、やってみるまでは机上の空論。
それが必要だって『やる前の自分』が考えてわかることと、『それをやった自分』が分かることは、その内容は子供と大人ぐらいの差があるように思う。
そしてどちらが合理的な行動がとれるかは、だれでも考えることなく分かるだろう。
いつか読んだ本の中で『理屈屋はいつも臆病だ』という言葉を目にした覚えがある。
理屈は僕らを助けてくれるときもあるが、理屈が通用しない物事をすることをひどく恐ろしくしてしまうこともある。
理屈でA+B=Cになるとわかっていれば安心だが、A+B=Xだと恐怖をもたらす。
でも物事をやる前は、基本的にどうなるか未知数だ。
この世に決まってる未来などあるだろうか。
そんな中で生きるスキルとして大切なことは、1秒先だってどうなるか分からないということを受け入れて生きることのように感じる。
そんなふうに最近思っていたら、とりあえずやるという選択肢がとれるようになってきた。
そしてそれはいい結果だけでなくて、人生の楽しむということも一緒につれてきてくれた。
明日がどうなるかわからないのが、だんだん恐怖ではなく、楽しみになってきた。
なんだか明日からはじまる仕事の最終チェックが終わり、ぼーとしていたらこんなことが浮かんできたので書いてみました。
最近一日一日を一生懸命いきて、次の日からは違う物語のような気がする。
明日はどんな経験ができるのか、楽しみだ。
とりあえずやってみそうな子の図。笑
ではまた!!