卵が先か、鶏が先か、手羽先か。
こんばんは。
ずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。
今日は一日おやすみだったので、うちで映画をみてました。 以前勧められて、まだみていなかった作品を、アマゾンでレンタル。この暑い中で、ツ○ヤまでDVD借りに行かなくていいのは、本当に助かります。
おかげさまで今日は家から一歩も出ていません。笑
映画を見て、最近の自分のテーマに深く響くところもあり、Twitterでつぶやいてみました。
人は、なにかができるようになって、それができると信じられるようになる。自分自身ずっとそうやってきたけど、いまはできると信じる心が、それを可能にしていくんだと思えるようになった。
— こころのおと (@minnasitteru) 2015, 7月 31
そして、できない、不可能という思いも、自分自身が作り出した『考え』でしかなくて、その考えを私に当てはめて、拘束しているのも、他ならぬ私自身。
— こころのおと (@minnasitteru) 2015, 7月 31
なにかできないことや、苦手なことがあったときに、そのできない部分を埋め合わせるように取り組むことと、自分にはそれができるという心持ちで、取り組むことは、ちょいと卵が先か、鶏が先かみたいな話に見えますが、たどるプロセスも、いずれ出てくる結果も、全然違うように感じます。
前者は対処。できるようになるということは、いまできないと自分で規定しているということです。それができないと○○という不安や疑念が隠れているかもしれません。 後者はできるということが、前提になっています。結果はどうあれ、成長のプロセス。
まぁ、自分がそういうできるとかできないとか、結果にこだわっている部分があるからこそ、こうやって書いているのだけれど、できるとか、できないとか、どちらも自分が作り出した考えではあれ、それを現す心持ちはものすごく大切だと感じた一日でした。
いずれは、そこからも自由に。
ということで、おやすみなさい。