怒りという荒波に…
最近やけに批判されたり、怒りをぶつけられることが続いていた。
荒波を乗りこなす人の図。(笑)
自分が反省する部分はキチンと省みつつ、批判それ自体は相手がどこに引っ掛かってるか見えるから、そんなに苦じゃないんだけど、とある言葉を受けて、久しぶりにいろんな感情が渦巻く熱いものがこみ上げてきた。
どうしたんだろうと思って自分自身を見つめてみた。
普段僕らが感じる怒りのなかにはたくさんの感情がミックスされている。
批判されたことへの屈辱感、自分がなにかをちゃんとできていないという無価値感、相手に対する嫉妬や反抗、蔑視…いろんな感情がまざった怒りという衝動に駆られると、自分のことがとても見えづらくなる。
そして怒りを感じてる自分自身を見ていたら、他人に気を遣えない部分を自分でも気をつけていたのに、それに対して怒りをぶつけられて、それに反発したい自分がいた。
相手も僕も自分の価値観に引っ掛かってただけだった。
そうやって、それが一度わかってしまうと、それは荒波がおさまるように、少しずつ自然に引いていく。
荒波にのまれている船を操縦する人から、灯台で船をみつめている人の視点に変わる。
荒波という状況はいっしょでも、それぞれの状態は全く違う。船に乗って荒波に対処していても、灯台でそれをしっかりと監察していても、天気が回復すれば自然に波は治まる。
はたしでどちらの状況で嵐が治まるのを待つのが、自分にとってより良い選択だろうか。
怒りって個人的にあまり沸いてこない感情だったので、また一つ学びになりましたとさ。
ではまた!