自分と向き合うこと
自分と向き合うことって、ダメな自分を倒したり、なくすこととは違う。
その自分を変えようとしたり、乗り越えたりするのともちょっと違う。
そのままの自分を知ること。
そのままの自分とは何か、考えることではなく、知ること。
とても精妙だけど、とても大切なことのように思う。
考えることと、結果
頭で考えることは必ずしも賢い結果を生むとは限らない。
心で素直にそうだと思ったことはスッて理解できるし、頭で考えた理屈をすべて飛び越える力を持っている。
どんなことでも本当のことっていうのは、自然と分かるようになってるんだよね。
でもそれすら頭はああでもない、こうでもないと考えたがる。
満足について考えてみた。
先日、友人とごはんを食べながら同年代の出世の話をしていた。
以前は自分も偉くなりたいとか誰もが羨む境遇を目指してた時期があるけど、いまはあんまりそういう風には思わなくなった。そういう立場になってと言われればやるけれども、自分から進んで出世というものを求める必要性をあまり感じなくなった。
それよりも自分を満足させるほうがよっぽど大切だと最近は思っている。
そんな小さなプライドを満たしたり、他人から認められたところで自分が自分のことを認められなければ、どんなものを手にいれても満足することはない。
結局満足なんて、大人が富と名誉を手にいれて満足するのと、子供が欲しかったおもちゃを手にいれて満足することと大して変わらない。
扱ってるものが本物の車か玩具か程度だ。
不満足な心からなにかを手にいれても、その満足は一瞬だ。そこからまた不満足が生まれていく。
だからその満足自体を自分で見抜くことが役にたつように思う。
そんなことを思う黄昏時でした。
ではまたー!
飛躍への扉
逆境や葛藤や混乱は飛躍への直通の扉だ。
ただ、その扉には困難という鍵がかかってるが、飛躍するためにはその扉を自分の手で開けなければいけない。
その扉をあけるために必要な鍵は、物事に正面から取り組む誠実さ、すべてを直視する勇気、そしてなにがあってもそれをやり抜ける熱意だと思う。
だけど、その鍵は外からはやってこない。
すべて自らの内からやってくる。
人よりも優れている?
昨日飲み会で思ったこと。
人間どこかで人よりも優位に立ちたくなるものだけど、どんなに自分が立派だと主張しても、どんなに特別な存在だと誇示しても、結局そのどちらが優位かっていう線引きは、その人が作っているもの。
自分で境界線を作って、自分で自分が優位だと判断して、自分で満足している。
そんな自分で作って自分で求めて自分で満足する自己解決ゲームを何年もやっていたんだなぁ。
自分もそういう部分があることに気付いたら、なんだかアホらしくなってしまった。
自分が勝手に作っていたそのどちらが優れているかという境界線の、優れていることを求めてずっと何かをやっていたことが、それに気付いたとたんに、急に馬鹿馬鹿しくなったりして。
優れてる人が良くて、ダメな人が良くないっていうのも、人が作っている線引きでしかないし、大人が成熟していて素晴らしくて、子供は未熟でダメってことはないでしょう?
大人になるためには子供という期間はかかせないものであって、その人間の存在という観点でみたら、どちらが優れてるというわけではなく、どちらも不可欠なものであり、それは成長というものを通した一つのサイクルだと思う。
そういう観点でみたら、結局は人は年齢も関係なくみんな平等な存在だ。四海同胞。人類みな兄弟。
なんてことを思ったら、急に飲み会も素晴らしく思えた平日の朝でございました。
ではまた!
人生という台風
どんなに暴風に吹き荒れる台風でも、台風の目が存在する。
それは暴風とセットだ。
ある観測点にいればとてつもない突風が吹き、ひどい雨が降っているが、台風の目は同時に存在する。
人生も一緒で、どんなに苦境でもそれは台風いう現象の一部であり、台風の目も同時に存在する。それはあなたの中にある。
ではまた!
『未知』
先日、何人かで『未知』というものについて話す機会があった。
何があるかわからないこのご時世、未来をできるだけ安心できるものにしたいと思って生きている人は多いと思う。
小さい頃から未来のために何かを詰め込んで、できるだけ安定した職を探し、自分が死ぬまでのプランを組みたくなるのは、当然のことなのかもしれない。
だけど、どれだけ安心できる状況に身をおいたとしても、未来のことは本当のところわからない。
一秒先だって、なにが起きるかわからない。
わからないからこそ、人は不安になる。
なにも決まってない未来を、知りたがる。
なにも決まっていない未来を、決めたがる。
急にそんなことを考え始めてた訳ではなく、年明けくらいに出会った無知の技法という本を読んでから、いろいろと考えるようになった。
- 作者: スティーブンデスーザ,ダイアナレナー,上原裕美子
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本の中にもあったけど、人間は既知のものに執着したがる。
知ってることは安心だからだ。
だから未知という知らないことを、既知という知ってることにしたがる。
でも、どんなに手をつくしても、人間ができることは本当に小さなことだけだ。
確実なことは生まれたら、いつか死ぬことくらい。
生まれたら死ぬ。これは間違いない。
生と死という二つの間にある人生という期間も、たぶん終わってみれば、始まって終わった、そんなもんなんだろう。
だから、あぁ無情って訳ではなく、そのなにが起こるかわからない期間を安定させるために生きるよりも、その期間を生きている自分を輝かせるほうがよっぽど素敵な期間になると思う。
それに、たぶん人生を安定させるために生まれてきた人はいない。
未知というものの安定を求めるよりも、どんなに頑張っても確定した未来を知ることもできないし、確定させることもできないということを受け入れてしまってから、地に足がついて必要なことを出来るようになったと思う。
未知と戦うのではなく、未知という可能性を生きる。
最近は、そんな生き方もありかなぁと思うのでした。
ではまた!